青空の朝に~久米さんはかく語りき・その1

青空の朝に~

 久米さんはかく語りき .その1


子供の頃、

父から、仕事中に聞いている

面白いラジオの話を、よく聞かされていました。


中でも、ある、若手アナウンサーが、

中継先で、レポートをしている話は、

度々聞かされていました。


「おとこがでるかっ、おんながでるかっ?」

…という、中継先での、お客様と一緒の

抽選大会の話や、


隠しマイクをつけて、

様々な場所をレポートする


「隠しマイク大作戦」という、

コーナーの話などが、記憶に残っています。


「上をむいてあるこう」の作詞でも有名な、

永六輔さんの昼間の番組、


TBSラジオで、現在も同タイトルで、放送

されている、


「土曜ワイドラジオTOKYO」という、番組での

話も多く聞いていました。


その後、

自分自身も、色々と、

理解出来る位の年代になり、


父の話に出てきた、

その若手アナウンサーが、


誰のことだったのかということが、

わかるようになりました。




そのアナウンサーとは、


「ザ・ベストテン」

「ぴったしカンカン」などの司会などでも、

有名な、

人気アナウンサーであり、


「ニュースステーション」での、

ニュースキャスターとして有名な、


久米宏さんの事でした。。


✨✨✨✨✨

当時、

友人、知人に聞くと、

久米さんは、テレビの司会者、

ニュースキャスターの久米さんでしょ?という、

答えがよく帰ってきていました。


今も、

周囲の人に、久米さんのことを聞くと、

ニュースやテレビの久米さん、、という、

答えが帰ってきます。


もちろん、久米さんの担当されていた、

テレビ番組は、

私自身、

ずっと拝見していました。


それでも、


私の中にずっと在る、「久米さん」は、


ラジオの久米さんなのです。


報道番組「ニュースステーション」が、

始まる前に、


久米さんは、土曜日の朝9時から、

夕方5時まで、


TBSラジオで、生放送で、

「土曜ワイドラジオTOKYO」を担当されていました。


この放送のことは、

私自身、断片的ではありますが、

色々と覚えています。


朝9時からスタートする番組は、

9時3分位から、テーマ曲

「ラブアドベンチャー」が流れ始め、


久米さんのトークが始まっていました。


学校が休みの時は、

朝から、聞いていた記憶があります。


夏の青空の下、

テーマ曲と共に流れていた、

久米さんの声や、語り口が、

とても心地よく、大好きでした。


✨✨✨✨✨✨

21世紀に入り


長年務められた「ニュースステーション」の

放送を終え、


久米さんの声は、

再び、TBSラジオに戻ってこられました。


10年以上に渡り、

現在も放送されている、

「久米宏 ラジオなんですけど」という、

土曜日午後1時~からの番組です。

当時、

「久米ちゃんがラジオに帰ってきた!」と、


他局である、文化放送の生放送で、

嬉しそうに話されておられていた方が、


キンキンこと、愛川欽也さんでした。


若手アナウンサー時代の、

久米さんを知る方で、


その後、「ラジオなんですけど」の、

ゲストコーナーにも出演されていました。


✨✨✨✨✨✨✨

数年前、久米さんが出版された、自伝に、


ご病気をされ、

第一線から、離れてしまわれていた、

若手アナウンサー時代のことが、

描かれていました。


のちの、テレビでの華やかな活躍のイメージを、

強く持たれておられる方は、

沢山おられることでしょう。。


久米さんの自伝を拝読し、


私が子供の頃、

聞かされていた、久米さんの話は、


ご苦労をされていた、

若手アナウンサー時代の久米さんの話が、

ほとんどであったことに、

気づきました。


スタジオの隅で、街中で、


必死に走り、もがきながら、

頑張っておられた、

久米さんの姿だったのです。


この時、

リスナーであった父だけではなく、


「パック・イン・ミュージック」や、

ほかの番組を通して、

当時の久米さんの事を、見守る様に語る

方々が、

何人もおられたことに気づきました。


それは、永六輔さん、

野沢那智さん、白石冬美さん、

愛川欽也さん、

林美雄さん、小島一慶さんなど、

沢山の方々の言葉により、

子供リスナーであった、私にも、

断片的に伝わってきていました。


久米さんの自伝を拝読した時に、


私がずっと


断片的に知っていたこと全てが、

一斉に繋がりました。


その瞬間、ボロボロと、

涙がとまりませんでした。。


✨✨✨✨✨

土曜日に、また、

久米さんの声が聞こえるラジオは、

なんとも、気持ちよく、

嬉しい時間となっています。。


✨✨✨✨✨✨✨


「土曜ワイドラジオTOKYO」を、

久米さんが担当されていた頃、

家に帰ってくると、

久米さんの声が流れていました。


久米さんのことを話してくれた父と、

最後に見たテレビ番組は、

「ニュースステーション」でした。


「やっぱり、久米さんがいないと面白くない」

…そんな事を言っていた、父が今も元気だったら、


きっと、「ラジオなんですけど」を、

聞いていた事でしょう。


「土曜ワイドラジオTOKYO」のエンディングでは、


夕暮れの空の下に、

「ラブアドベンチャー」が流れていたことを、

懐かしく思い出します。


✨✨✨✨✨✨✨

近年、

「ラジオなんですけど」を聞いていると、

リスナーに、

小中高生の方々が、増えていて、

なんとも、嬉しく感じています。


子供にわかるのかな?…と、

大人は思いがちですが、


私の経験上申し上げますと、

じゅうにぶんに、わかります。


その時の記憶が、

人生の中で、支えや励み、

いしずえになっている事があります。


皆さんが、


「久米さん」と、

検索したくなった時に、


少し、思い出話がみつかれば、、と、

古文書の様に、こちらのブログにのこす

事にしています。


そして、

昔の久米さんを知っておられる方々が、


新しく始めた、パソコンや、スマホで、

検索された時に、

懐かしい話を少し、発見して頂ければ…

うれしく存じます。


✨✨✨✨✨✨✨

「久米さんはかく語りき」は、

その2へと、

続きます。。


…to be Continued…


2019年7月14日


久米さん、HAPPYBIRTHDAY😌🎁🎂


                      😺あび22号😺

あび22号の古文書的備忘録「勝手に店子連」(かってにたなこれん)

クラシック畑出身の「うたうひと」 Soprano Vocal &MCです。 クラシック、芸術全般、サブカルチャー、スポーツ(フィギュアスケート、野球、大相撲etc…)ほか、 「心に残る」様々な事、大好きな人達の事、伝えていきたい話等を、ここにのこしています。 📻長年使っているラジオネームは・若紫のカトリーヌ&あび22号📻です。

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